diary 2003.05b



■2003.05.16 金

 自分自身の事を嫌いだと言っている人に、「いや、そんなことないんじゃないの」と言っても、それは的外れな答えなのだということに気付いた。自分が自分を好きになる、ということと、自分が他人から好かれる、ということは、全く別の問題なのだ。他人から見てどうのこうの、ということなど、当人からしてみればどうでもいいこと。その人自身が自分の事を嫌いだと言っているのだから。
 自分で自分の事を嫌いだと言ってしまう人は多い。まぁ、人前であまり自分を好きだと公言してしまうと自惚れと取られてしまうから、そう言っている人が多いだけ、なのかも知れない。けれどやはり、自分の事を本気で嫌っているような、自分を好きになるなんて不可能だ、と思っている人は多いと感じる。
 実感として。自分自身の事を嫌いだと思っていて、でも、それではいけないと思って自分自身の事を好きになろうと色々努力してみたけれど、それがなかなか上手くいかなくて、結局は「自分を好きになるなんて不可能」という結論で立ち停まっている人が多いと思う。時々目にするのだ。自分を好きになれない、という人に相談を受けた人が返している言葉の中に、「自分を好きになるなんて不可能」という、その言葉を。それはつまり、妥協しなさい、ということだ。妥協して、自分を嫌いな自分自身の存在を、そのまま認めてあげなさい。そうすれば気持ちが楽になりますから、と。
 俺は違うと思う。自分ならそこで立ち停まらない。相手にそこで立ち停まって欲しくないし、そこで妥協しろとも言って欲しくない。多くの人が自分の事を嫌いだと言う。でも、本当の意味で自分自身をそんなに嫌っている人、ってのは、それほど多くはないと思う。
 そういう人は、自分自身そのものが本当に嫌い、になっているのではない。自分の中にある、自身を批判する部分。その声がちょっと大きいだけなのだと思う。何というか、自分の負の部分に対する想像力、それがちょっと大きいだけなのだと。

 ある人を嫌な人と見ている、そんな自分が嫌い。
 でも、そこで自分を嫌う必要は無いのだと思う。自分が嫌い、とそこで感じてしまったら、その時点でものごとはストップしてしまう。一歩踏み込んで、その人を嫌だ、と感じている自分に目を向けてみる。そうしたら多分、その相手に対して様々な批判やら軽蔑やらの声が、自分の中のどこかから沸き上がっている事に気付くだろう。馬鹿な奴、だとか、大したことない奴、だとか。
 そして、そんな他人を批判する声と同時に、その相手を批判する自分自身を批判する、そんな声も上がっているだろう。そう言うオマエも嫌な奴だな、って。
 オマエは醜い奴だ、ずるい奴だ。そういう自分を批判する声、は、自分自身を見る時にも湧き上がる。そっちの方が大きいかも知れない。何かを始める前には「上手くやれっこないさ」。好きな人の前では「オマエなど好かれてなんかいないさ」。認められたい時には「オマエにそれほどの価値はないさ」と。
 自分を嫌いだ、と言う人の中にも、本当の意味で自分にまで嫌われる存在なんていない。それなのに自分を嫌いだ、と言ってしまうのは、何事に対しても自分が希望するところとあべこべの事を言ってしまう自分の中の部分。その声が大声だったり、自身がその声に耳を傾け過ぎたりしているだけ、その声を素直に聞きすぎているだけ、なのだと思う。自分自身からの批判の声に耳を傾けられる事は大切なことだけど、傾け過ぎるのはどうだろう。自分自身から浴びせられる批判は、時に他人から浴びせられるどんな批判よりも情け容赦なく、辛辣なものだったりするから。


■2003.05.17 土

 自動車税の支払いと自動車保険の更新で9万円以上、殆ど10万円の出費のために車であちこち出掛ける。来年の今頃、この車はどうなっているだろう。そんな事を思う。大筋の通りに来年転勤になった場合、その事についてもひとつの選択をしなければならない。現地の交通事情。どこに住むことになるのか。東京から来た上司は現地では車を持っていなかった。今は乗っているが、こちらに来てから買ったもので、戻る時には持って行かない、という。職住近接を望むなら車は必要ない、という。他の交通機関は揃っているし、駐車料金の負担も大きいので持つだけ無駄だと。でも、ちょっと郊外に住むのなら問題は無いという。ただし、その場合は片道2時間以上の通勤を覚悟せよ、と。当然自動車通勤など望めない土地柄なので、通勤は電車。片道2時間以上の電車通勤なんて全くの未知の世界だ。これまでを振り返ってみても、通勤や通学に要した最長の時間は高校冬場のバス通学。それでも時間は1時間以内だったから、想像もつかない。まぁすぐに慣れるよ、と、あちら出身の方は言うけれど、その場合は行き帰りの4時間、何をしながら過ごせばいいのだろう。
 …と、他にも考えなければならない事や心配事は山ほどあるはずなのに、こんな事を考えている自分が可笑しい。こういう自分は好きだ。

 昨日の続き。
 自分を批判する声、というのは誰しも持っているもの。
 でもその声の大きさをどうするか、自分がその声にどれほど耳を傾けるか、は、自分自身でコントロールできることだと思う。耳を貸さない。二度と同じ事は言わせない。その声がうるさい時には黙らせる。そうした事は、「自分を好きになる」という、まぁ漠然としたことに飛躍して努力するよりは、はるかに具体的で容易なことだと思う。
 そして何よりも、「自分を好きになるなんて不可能」と諦めてしまうより、それはずっと可能性のあることだと思う。「自分を好きになるなんて不可能」と言ってしまうこと。それだって何かを始める前から「できっこないさ」と言ってしまう、あべこべの事をいう自分の中の部分、そこからの声に過ぎないのだ。そんな声に耳を貸す必要は無い。
 自分が嫌い、と言ってしまう時。人は自分を本当に嫌っているのではない。自分の中のある部分が「自分を嫌い」と、そう言っていて、その言葉に敏感になっているだけ。そして、そうした言葉を発しているのは、その人のそのもの全て、ではない。その人の中の、ほんのごく僅かな部分に過ぎない。それを自分の全てだと勘違いさせているのもまた、そうしたその部分からの声、なのだ。

 まぁ、「自分を好きになれ」とは言わない。そう言っても相手は戸惑うだけだと思う。相手が持つ魅力についていくら説明したところで、それもまた結果は同じだと思う。
 でも、自分を好きになるやり方、ではなく、自分をさほど嫌わずに済むやり方、なら何とかなるかも知れない。すぐに自分を卑下したり批判したりしたがる、そんな声。それに耳を貸さず、少しづつ黙らせていったり、そうした声と上手く付き合えるようになれば、「自分が好き」とまではいかなくても、「自分を嫌い」ってすぐに言いたがる自分とは、距離をおけるようになると思う。
 「嫌い」って言う自分の声より、「好き」って言う自分の声の方に、もっと耳を傾けるようになれたら。そうすれば「自分が好き」って事も、何となく見えてくるんじやないかな、と。


■2003.05.18 日

 起きてからテレビをつけると、仮面ライダーが怪人と闘っていた。今の仮面ライダーは崖なんかある赤土の上ではなくて普通の街中で闘うのか。しかもパンチやキックではなくて、チャンバラ。つけた時には、戦闘もそろそろ終盤のようだった。ライダーが怪人と間合いをとる。そして何やら構える。その時間帯…という事は。
 「跳べ、ライダー! ライダーキック!」 (叫んではいない)
 昔、高い足場の上からライダーキックを放っていた世代である。しかし。決め技はもう飛び蹴りではなかった。剣を手に怪人へ向かって駆けていったライダーは、その剣で怪人をメッタ切り。もう時代が違うのか。

 特に用事のない日曜日。図書館で本を借りたついでに海まで足を伸ばす。日本海に出てから北上。最寄の海岸ドライブコースだ。厚田村、というところに入ってしばらく行き、高台の上を走る道路が下り坂に転じる所で、視界が一気に開けて、長い長い海岸線と拡がる海が突然あらわれる地点がある。その視界が開ける瞬間が好きだ。土地が下がったところに僅かな平地があり、そこに町が張り付いている。町の向こうは再び高台となり、その頂には風力発電の風車が2基、風を受けて羽をゆったりと回している。
 その狭い町を抜け、ちょっと脇道に入って風車の脇を通りさらに北上。厚田の漁港で釣り人をチェックする。ここで釣りをしたことは無い。元々、日本海は馴染みの薄いところ。でも、漁港はその土地の人と海との接点だから、その場所に行くだけでもその土地の海について、得られる事は多いと思う。何が獲れるのか、何が釣れるのかもそこにいる人に訊けば判る。防波堤を沖へ向かえば海が遠浅かどうかも判る。漁港そのものを見れば、その土地の沿岸部の海がどちらからどちらの方角へ向かって流れているのか、そういう事も判る。好きな場所だ。
 釣り人は皆、暇そうだった。防波堤の先端にいた人に訊いてみる。釣れるのはウグイばかりで、他はさっぱり。「やませだから駄目さぁ」と、風の事を言いながら上げた仕掛けには、大きなヒトデが掛かっていた。
 漁港の入り口にはテントがあった。早朝に朝市が開かれているという。自分の拠点の太平洋側と、それほど魚種に違いはないけれど、自分にしてみれば日本海側で取れる「がさえび」(シャコ)だけは珍しい。その後厚田村を抜けて浜益村に入り、自宅から大体80キロ地点の雄冬岬手前で折り返す。そうして元来た道を通って帰宅。

 …と、要点の無い1日だったんだな。
 このままダラダラと書き続けてもキリが無さそうなので、今日はここで打ち切ることに。


■2003.05.19 月

 昨日借りてきた本をまだ読み始めてはいないけれど、先ほどその1冊をぱっと開いたら、その最初に開かさった頁の間に飛行機の搭乗券が挟まっていた。図書館で開いた時には気付かなかった。栞がわりに挟まれたものだろう。羽田行きのANA62便。秋の日付とカタカナの名前も印字されている。でも、その半券には年度の刻印が無いので、その日付が何年なのかは判らない。裏面を見ると全面が大手電機メーカーのマッサージチェアの広告。上の余白にバーコードと磁気記録領域らしい黒い線。でも、下のごく僅かな余白に、まるで何かの契約書か広告の最重要事項のような小さな文字で「97.3」という数字が印字されていた。
 これがこの搭乗券の発行年度なのかどうかは判らないけれど、もしそうだとしたら。その年の頃に借りて行った人が挟み込んだまま、5年以上も挟み込まれたままだった、という事なのだろうか。それから誰にも借りられぬまま。いや、借りられたけれど誰にも捨てられずに、皆に挟んだままにされ続けたのだろうか。それなら、このチケットは他の誰かにとっても栞の役目を果たしたのだろうか。
 それとも、最近借りて行った誰かが、この本を読んでいる途中、たまたま手元にあったこの古い搭乗券を栞にして読むことを中断し、そのまま返却されただけ、なのだろうか。ならどうしてその人はそんな古い搭乗券をそれまで持ち続けていたのだろう。
 …と、とめどなく想像していると、このチケット1枚でこの1冊の本以上の物語が生まれてしまうかも知れない。
 搭乗券が挟まっていたのは「ムがいっぱい」という本で、東南アジアのカレンという民族の生活について書かれたもの。余り多くの人が借りてゆくような本でも無いだろう。でも、何故この本が今自分の手元にあるのか。書棚から手に取ったのは、まずそのタイトルが目にとまったから。で、借りたのは挿入されている写真が良かったことと、たまたま開いた頁に出ていた蛙と魚の2枚の絵に興味をひかれたからだった。
 絵のひとつはカレン族の子供が描いたもので、もうひとつは日本の子供が描いたもの。その差が面白かった。(カレン族の子供が書いたものは蛙だったが、日本の子供が書いていたのはケロヨンだった)
 自分にとって、図書館での本の選択はいつも大体そんな感じだ。その時の興味優先で、特にジャンルは問わない。その程度の興味で手にした本を2週間も手元に置いておける。図書館とは素晴らしいところだと思う。

 さて、この搭乗券はどうしようか。


■2003.05.21 水

 新聞朝刊の記事から。某小学校の校長先生が児童の前で唄って大顰蹙(ひんしゅく。こんな漢字だったのか!)を買っている、という「ドレミの歌」の替え歌。
 『ドは髑髏(どくろ。こんな漢字…以下略)のド、レは霊柩車のレ…さぁ死にましょう』
 …というものらしいけれど、中身はともかくセンスが無い。
 自分が小学生の頃にヒットしていた…内輪だけかも知れないが…「ドレミの歌」の替え歌、とは、こんなものだった。
 『ドはどんどん***して、レは連発***して、ミは皆で***して、ファはファイトで***して、ソは空から***して、ラはラッパで***して、シは幸せ***して、さあ***をしーまーしょー!』
 という、ある意味、小学校で発生しがちなある問題に対しての「啓発ソング」ともいえるものだった。ちなみに、語呂に合うよう、曲にも多少アレンジが加えてある。

 小学生のみんな、学校で***することは決して恥ずかしいことではないのだぞ。

 さあ!


■2003.05.23 金

 巣の中からの、雀の雛鳥の鳴き声を、今年初めて聞く。チリリリ、チリリリと、鳴き初め。
 まだ肌寒いけれど、夜になってから久しぶりにビール園に行った。職場の身近な仲間内だけの宴会だ。机の上に置いていた案内を見て、職場のボスが指を加えて「いいなぁ…」と言っていたけれど、ごく狭い範囲だけでワイワイとやる。ビール園は自転車でも行けるくらい近くにあるけれど、結局、車に乗り合って行った。車は出してもらい、行きは運転してもらったけれど、帰りのドライバーは当然自分である。飲まない人間はこういう時に重宝がられる。で、3600円払ってコーラとウーロン茶と成吉思汗。採算は取れない。
 帰り道は同じ車で何人かをあっちこっちに送り届けたため、夜の市内ドライブになった。


■2003.05.26 月

 上の金曜日の日記は、あそこまで書いて力尽きた。その後、部屋の中がジンギスカン臭いとかなんとか書こうとしてちょっと中断したら、そのまま居眠り。でも、パソコンはちゃんとシャットダウンしてあり、いつの間にそうしたのだか、きちんと文章の保存もしていた。あとで書くつもりでそうしたのだろうけれど、その記憶が無い。飲んできたわけでもないのに。
 18時30分頃、ちょうど帰宅したばかり時に地震があった。この街で体験した地震の揺れ、としては、前にこの街に住んでいた時。奥尻島の震災の揺れ以来の、地震らしい揺れだった。今日のはその時とは比較にならない小さな揺れだったけれど、揺れている時間が長かった。遠隔地での大きな地震の特徴だ。最近は少なくなったけれど、自分が学生をしていた前後はこういう揺れの地震が多かったから、何となくわかる。
 で、こういう地震があるとちょっと緊張する。津波だ。近場にその警報が出たら、まぁそれなりに緊張しなければならない事もあるので、まずはテレビを点ける。
 まもなくNHKが、それまでの番組内容を打ち切って速報を流す。その対応がいつ見ても素早い。こういう事態に対して最も迅速に対応し、自分がとるべき手段をとる事ができる。この国の全国的な組織の中で、そういう事態に対する即応態勢が最も備わっている組織は、政府でも自衛隊でもなく、自分はNHKだと思っている。現地の揺れが収まらないうちから、「揺れが収まってから落ち着いて火を消して…」とテレビの中でアナウンサーが繰り返しているのだ。良く考えなくてもこれは凄いことだと思う。もっと遠隔地だったら、揺れより先に第一報がNHKもたらされたかも知れない。さすがは公共放送。安くは無い受信料を払っているだけのことはある。(もちろん、ちゃんと払っています)

 それにしても。このパソコンの入力システム(MS-IME2000)では、「地震」と打つのには「じしん」と打たなければならない。「ち」の震えなのだから、「ぢしん」が正しいんじゃないのか? と、ふと思う。「ぢしん」では変換されないけれど、本当はどうなのだろう。


■2003.05.27 火

 最初の時だけは珍しくて、観察していたり、色々と試してみたり。そしてこういう所にもその事を書いたりもしたのだけど、そういうものも、次第にそれが生活の中にある、という事が当たり前になってくる…日常のごく一部になってしまうと、なかなかこの場への登場機会はなくなってしまう。そういうものかも知れない。
 つまり、正月に実家から貰ってきたヨーグルト(その後、カスピ海ヨーグルトという名前らしい、という事が判った)はまだ元気で、週に牛乳パック2〜3本のペースで増殖中だ。これはヨーグルト登場以前の自分の普段の牛乳の消費量よりも、少し多いくらいか。食べ方も最初は色々と試したのだけど、結局は冷凍ブルーベリーを混ぜるか、ブルーベリージャムを混ぜるか、そのまま、という無難なところで落ち着いている。あまり凝ったものは続かない、という事が良く判った。要するに、風呂上りに牛乳を飲むのと同じ感覚で続いているのだ。
 で、まもなく半年になる。ヨーグルトを食べ続けると健康にいい、というけれど、さて。自分は健康になったのでしょうか。…というと、その効果は不明。元々不健康な所も見当たらないので、実感できるような効果は何も無い。まぁ、とにかく不健康にはなっていないから、健康に悪くはないのかも知れない。
 それと、目にいいというブルーベリーを混ぜ続けていたせいだろうか。今月の職場の健康診断では、視力検査の結果が右1.5、左1.3だった。職場の視力検査の機械では1.5までしか計測できないので、右は最高である。左が右より劣っているのは、視力を測るのが右からだったので、反対の目をを隠すためのオタマのようなあの「目隠し」を、左眼に強く押し当てすぎていたため、いざ左眼の検査の時に視界がぼやけてしまったからだ。それまでは、前に検査を受けている人の後ろから全て言い当てていたのだから、問題は無いはず。
 職場で目を酷使する事が多くなったとはいえ、こちらも去年に比べて悪くはなっていないから、ブルーベリーが目の健康にいいというのも本当かも知れない。まぁ、少なくとも悪くはなっていない。


■2003.05.29 木

 日向のタンポポは綿毛に変わっている。日陰のタンポポは今が盛り。いちいち名前は判らないけれど、街中の様々な木が様々な花を付けている。柳の木も綿毛をつけている。桜は緑のまだ固そうな果実を、かつての花の数だけぶら下げている。
 職場では今週ずっと、殆どひとりでの事務所詰め。ひとりでいる時に一番大変なのは、電話の応対だ。切った途端にかかってくる。FAX受信終了と同時にかかってくる。やれやれ。ただ幸いなことに、事務所にはFAXを含めて電話機は数台あるが、回線は1本だけだ。人が大勢いる時はいつもその「たったの1回線」にいいかげん頭にくるが、こういう時には感謝だ。応対している最中にもう一台が鳴り出す、という事態だけは避けられるのだから。
 とにかく。ひとつの電話で話をしている最中にもう一方の電話が鳴り出し、代わりに出る者がいない、というのは言い様なく嫌なものだ。そして、こういうことがもう、職場に限らず家庭レベルでも起こるようになっていたりもする。家の電話で話している最中に、携帯電話が鳴り始めたり。でも、携帯電話の場合はつながらなかった場合、相手が着信履歴を見て掛けなおす、という暗黙ルールがある。また、話の途中で「後からかけ直す」と言って電話を切る事がしやすいのも、携帯電話の特徴だと思う。そういう意識が自分にはある。
 携帯電話で話をしている最中に家の電話が鳴ったら、携帯電話を切って家の電話に出る。逆の場合なら、鳴っている携帯電話の方は無視して話しを続ける。自分なら多分そうするだろうと思う。まぁ、その時話している相手にもよりけりだが。


■2003.05.30 金

 夏日となる。外を行く人、その殆どがもう半袖。ただし、朝晩はまだ肌寒い。
 桜の木の根元に立って梢を見上げると、もうすっかり繁った無数の葉に、空はすっかり遮られていた。花盛りの時は、同じように見上げると花や枝々の間の広い隙間から望める空があって、花は青空に映えていた。葉が繁る前の桜の花は、真下から見上げると空を背景に咲いている。ひょっとしたらそのために、葉が繁る前に花を咲かせているのだろうか。ふとコブシの花を思い出した。コブシが花を咲かせる時もそうなのだ。白い花を咲かせているコブシの、木の根元まで行って梢を見上げると、まだ葉の繁っていない隙間だらけの枝々の向こうに、空が広がる。そして、一面の空の中を這う枝々に、ポツンポツンと咲いている白い花が、青空に映える。花が散り、やがて枝々に葉が繁ってくると、やがてその葉に塞がれてゆく、そうして次第に狭くなってゆく、木の根元に立って見上げる空。
 樹皮の窪んだところから樹液を流している木の幹を、蟻が一列になって昇り降りしている。ただ、蟻自身は昇り降りという感覚など持ち合わせてはおらず、ただ平面を歩いているだけの感覚で行き来しているように見える。ふっ、と息を吹きかけて、自分の目線の高さから吹き落としても平気な彼らは、高さという感覚をもっているのだろうか。いないだろう。だから、高さに対する恐怖、というものも無い。ただ、吹き落とされた何匹かの蟻は、それまでの統一された行動が嘘のようにバラバラに、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。その様は何となく不安そうだ。高さに対する不安や恐怖は持たない彼らだけど、仲間と進むべき道から外れる事に対するそうしたものは、持っているのかも知れない。


■2003.05.31 土

 早朝の街に花火の音が響く。運動会だろうか。台風の影響で荒れる予報。だが、雲ってはいるけれど、降り始めてはいない。
 今日が期限だったので、図書館から借りていた本を却しに行く。1冊だけ読んで、1冊はまだ読み切っていない。残りの1冊には手もつけていない。読書には気が乗らない日が多かった2週間だった。
 読み始めたが読み切っていないままの1冊に挟まっていた、羽田行きANA62便の航空券。自分もまたそれを栞にして、今回自分が読み進んだ頁に挟んだままになっている。それをそのまま返却する事にした。
 返却する本をカウンターに預ける。しばらく書棚の間をウロウロしていると、職員が返却された本を書棚に戻しにくる。それからまたしばらくして、その本が元々あった書棚へ行ってみると、本は借りてきた時の元の位置に戻されていた。再び手にして開いてみると、航空券はそのままだった。…よし。本を書棚に戻す。気が向いたらこの本をまた借りることになるだろう。その時までこの航空券はこの頁に挟まれたまま、だろうか。違う頁に挟まれているだろうか。それとも、無くなっているだろうか。まぁいい。いずれ判る。
 ただ、無くなっていたとしたら、捨てられたのではなく。やはり栞として他の本に挟まれた、であって欲しい。かつてこの航空券を手に空路を旅した者がいた。そして、今度はその時の航空券が、栞となって本から本の間を旅してゆく。そういうのも面白いかな、と。まぁ、こうした事については終らせる側ではなく、常に加担する側でありたいと思う。

 予報どおり、午後から雨が降り出した。

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